紆余曲折しながらも、現在週4日×3時間程度の勤務で月に10万ほどを稼ぎつつ、家族の脛を齧りながら生きてます。
週に約12時間しか働いてないので、普通の人の4分の1の時間しか働いておりません。
これだけでもヒーヒー言いながら、仕事が終わると即刻翌日の勤務に向けて、その日蓄積したダメージを回復するために睡眠を摂る。休日はひたすらに蓄積した睡眠負債を返すために睡眠、睡眠…。
このような生活をしていると、仕事と睡眠だけで日々が終わります。
睡眠すらも、次の勤務のための休息なので、常に仕事を中心に回るような生活になります。
そのように、時間のほぼすべてを仕事に充てて稼げる金額は10万円です。
あまりにもあんまりなそのような生活に耐えられなくなると、睡眠を削ってこのような文字打ちなんかをやったりするんですが、それをやり過ぎると今度は睡眠不足が祟って、仕事を十全にこなせなくなる。
疲労も困憊するから思考もネガティブになる。
すると健康にも影響が出る。
私の場合は過呼吸、及びひたすらに髪の毛を抜く、抜きまくる。
まるで溜まり切ったガスを抜くが如く抜毛を繰り返す。
するとどうなるかと言えば、当然ですが落武者のような容貌になります。
なんでしょうね、月額10万を稼ぐために必死こいて得るものが不健全な精神と失った髪の毛って…失うものが多すぎやしませんか。
と、ここまでひと息に書いてみて、つくづく実感するのは
「普通の人と同じやり方で金銭を得るのは続かないなぁ」
ということでして。
じゃあブログアフィリエイトだFXだ起業だ!
みたいな発想に行く気はないんですが、どうにもこうにも普通の勤め仕事では、今後何年生き続けるか知れませんがやっていけないなぁ、というのは自覚してきた次第。
これでも一年半勤め仕事頑張って続けたんですけどね。
そういえば、以前やっていたサイト運営の事務も一年半くらいで堪らなくなって辞めたんでしたね。
一年半がどうやら私のリミットのような感じがします。
正直、何が嫌なの?と自問自答することはあります。
勤め仕事って、言われたことをこなして規定時間職場に居れば、それなりのお金が貰えるシステムです。
自営業のように、自分で事務雑務までこなさなくても、売れるための戦略的な行動も営業活動も、やらなくても最低賃以上の金額が貰えます。
フリーなんて本当、最低賃稼ぐのすらままならない場合が結構ある。
これだけ書いても、勤め仕事のうま味ってそれなりにあるような気がするんですけど、それでも無理を感じてしまう。
勤め仕事の嫌な部分は、前述した通りですが「自分のための時間がまったく取れなくなること」です。
時間も食事も睡眠も、すべて仕事を十全にこなすための準備時間になってしまう。
「やりたいからやる」主体的な行動をする時間が抑制されて、それこそ
「お金さえ必要なければ仕事しなくて済むのに」
「お金のために生きている意味はあるのか」
「死ねばお金は必要なくなるな」
という考えのループに陥ります。
世の中には、主体的に行動するのが苦手なひとも居るようですが、私自身は主体性が抑制されると駄目な人間のようです。
とは言え、じゃあ全部主体的にやってみなさい、と放り投げられられたとして、最低限の生活すら成立させられる可能性も低い。
いや、それこそ通貨が必要ない社会システムだったらわかりませんが、この世の中は金が全てです。
なら、なにがしかの方法で通貨を稼ぐしかない。

この記事でも書いてますが、自分の時間が取れなくなる原因は、
- 他人よりも遅い疲労回復速度
- 異常に空気を読み過ぎて疲労困憊する精神
- 安心を得られない職場環境
もあるんですよね。
これ、「素」の自分で居られる環境だったらもうちょっとラクだったんでしょうか。
とか言いつつも、はた、と考えて自分の「素」がそもそも分からないことに気が付きました。
記事の中でもありますが、「素」の自分を出してこれまでの人生ずいぶん叩かれて打たれて生きてきた経緯があるためか、安心して己の素というものを出せた経験がないんですよね。
「これやったら嫌な目に会うかな」とか、「こんなこと言ったら反感買うかな」とか、そういう心配を常にしてビクビクと相手の反応に敏感になりながら生きている。
この状況を打破するには、要するに
- 疲弊する要因から全力で逃げて生きる
- そもそも疲弊しないように空気を気にしない練習をする
のどちらかになるんだろうなぁ。
…まあ、素直な気持ちを言うなら「全力で逃げて生きたい」です。
もうなんか努力とか頑張るとかからも逃げたいんですよ。
パトラッシュ、ボクもう疲れたよ。
ここまでツラツラと書いて、まあ、自分の素直な気持ちは大変明確になった気がします。
あとは、それと生活するための資金調達の手段の両立を叶えられたら最高なんですけどね。
何はともあれ、いまはただただネガティブな気持ちしか沸いてこない出勤前。
「ああしたいこうしたい」気持ちとそれを押さえ付けて挑まなければならない日々に、「生きづらい」と嘆息する毎日です。


