日記生き方

我が子の手柄を横取りする親

日記

貴方がいま幸せに生きられるのは「親のおかげ」なのか

我が子の手柄は「俺のもの」

私はかれこれ成人して既に久しい、それなりの齢の人間なのだけれど、未だに何がしかの成果を成すと必ずと言って良いほど手柄を横取りされる。
誉ある事柄は全て「母のおかげ」であり「私個人がそれなりに努力したから」ではないのだそうだ。

 

何が言いたいかと言うと、例えば私が資格試験に合格したとして必ず
「さすが私の子だ」「貴方が〇〇の分野に長けているのは私の遺伝子を継いでいるからだ」と、さも自分の功績のように表現されてしまうのである。

それは日常の些細な事柄ひとつとってもそうで、料理の味付けが上手くいってとても美味しかったとして
「貴方が小さい時から料理を教えた私が素晴らしいから、貴方の料理は美味しい」だとか、
「私の料理のセンスが良いから、貴方もそのセンスを継いでいる」だとか、
それはもう全てにおいて己が素晴らしいが故に、子である私が誉を受けるのだと、私個人の努力や頑張りは総無視で自分アゲの材料にされてしまうのだ。

 

それでいて、私の失敗であったり難ある部分は全て
「お父さんに似て可愛くない」だとか「貴方が〇〇だからそんななのだ」
と全て自分以外の人間のせいになるので、もうここまでくるといっそ清々しい限りである。

己の頑張りを掠め取られた子の末路

さて、そんな感じでアラフォーに差し掛かっても未だに、自分の頑張りを全部持っていかれてしまうと言う情けない有様なのだけれど、最近気づいたのは、そんな風に努力が自分の手柄になれないと「自分の人生がひたすらに虚無」に感じると言うことだ。

頑張ったり努力しても、その根拠が「母親の存在」として一蹴されることで、いまここにある自分の幸せだとかそれなりの生活だったりが、「己の築き上げた人生」であると言う意識に希薄なのである。

なもんで、己の生涯から自負やら自信の部分が掠め取られてスカスカになった積み木を、必死になって積み上げたのが現状、みたいな、常に危うい空虚なものの上に自分が立っているような面持ちになっている。
骨のない建造物は、ちょっとした衝撃ですぐさまグラグラと虚に侵されるし、常に「頑張っても頑張っても報われない」状態で生きているような気持ちになるのだ。

 

いや、まあ、単純に考えても、自分の手柄だったり頑張りを他者のものとして扱われたら、普通に嫌だし怒ってもいい案件だわ。
それが身内間と言うクローズな間柄では、幼い頃からの刷り込みのように当然として行われてしまうのだから、恐ろしいものだ。

自分の人生にいつも浮ついていて、空虚で自信がない原因は、この辺りにありそうだと最近思うところである。

この人生は自分で築き上げたものだから

以前、腹を括って生きることにしたとブログに書いた事がある。

ここでは、自分の行いや決定の責任は他者のせいにせず自分で取る、と書いたのだけれど、自分の人生を自己責任で生きていくにあたって、自分の行いの成果を他者のお陰にすり替えられては、元も子もないのだ。
ようやく生きることに自発性が見出せたのに、「それはお母さんのおかげなのよ」なんて言われてしまっては、自発性もへったくれも無くなってしまう。

自分で決定したことの報いは、自分に返って来なければいけないのだ。


それは、失敗の責任もとるって意味だけど、報酬としての「良い結果」も自分のものに出来なければ、あまりにも報われなさ過ぎるだろう。
だから、意識的に自分の成果をきちんと自分のものとして認識するよう、良かったことは自分へのギフトとしてきちんと受け取るようにしなければならない。

 

その辺、ポジティブなことを受け取るのが下手くそなので、意識してやらないとすぐに他者に奪われてしまうから、気をつけなければいけないところである。

 

親に責任だったりを委ねていた幼少ならまだしも、成人して久しい時が経った現在、ここまで生きてこられたのは自分が頑張ってきたからだし、その間に得た素晴らしい経験も成果も、自分が必死こいて努力してきた報いなのだ。
よくも悪くも、この人生は自分で築き上げてきたものなのだから。

いま、もし貴方が幸せでもそうじゃなくても、それは親のせいでもおかげでもなく、自分がそうやって積み上げてきた結果であって。
そこを腑に落として、芯を持って生きていかないと、いずれは母の二の舞を、同じ轍を生きなければならなくなる。

 

結局、母も自分の人生が空虚だから、自分の人生に自負を持って生きてないから、自負だとか自信を娘から掠め取ることでバランスを保っているのだ。

良い部分も悪い部分も「自分の人生」だから

マイナスもきちんと受け取ろう

まあ、一昼一夜で人間の性質というものは変わらないので、相変わらず私は自分の報酬を受け取るのが下手だし、受け取って良いのかマゴマゴしている間に母親に颯爽と「自分のおかげで」にされてしまう生活を送っている。
ただ、その状況にムカつくことはできるようになった。

 

上に書いた中でとっても大事なことだから改めて書くけど、ポジティブな成果を受け取るのは当然として、ネガティブな失敗やマイナスの成果もきちんと受け取る事が前提ってのは、強調しておきたい。
何度か書いてるけど、私の母親たる人物は、悪いこと都合の悪いことは全て「他者のせい」にする人間である。

 

都合の良いところだけ受け取って、都合の悪いものは受け取らないとどうなるか。
自分の人生の歩みに根拠が乏しくなるのだ。


「こういう失敗も経験したけれど、それの反省があったからこういう成果に結びついた」

といった、反省に基づく時系列としての成功ではなく、都合の悪い部分はカスカスに飛び飛びになった虫食いだらけの自分史が出来上がる。

「どういうわけか自分は成功したのだ」
「自分が素晴らしいからうまくいったのだ」

といった、反省も根拠もない自信は、根拠を持った自信に比べて脆弱でその場しのぎのものになる。

そのうち、根拠のない部分を指摘されて立ち行かなくなると、根拠を他人の「せい」にしだす。

「親が、世間が、政治が悪かったから、自分はこんなに不幸なんだ」
「夫が不出来だから、娘が可愛くないのだ」

といった言い訳はよく聞くものであるが、そういうことなんだと思う。

だから強調して言っておくのは、「ネガティブもマイナスも、きちんと受け取った上で報酬はちゃんと受け取ろうね」ってことだ。

自分の人生は自分のおかげ

私も気付けば既にアラフォーだ。
ブログの開設から、何だかんだと5年目になった。
5年経っても未だに金銭的に自立できておらず、兄弟や社会保障のご厄介になりつつ、日々の糧を頂戴している身である。


そんな私が偉そうに、と思われても仕方ないとは存分に理解した上で、それでも
「ここまでそこそこ何とか生きているのは、自分の頑張りも大いにあったからだ」
という自負は持っていたいと思っている。

少なくとも、
「未だに自分がこんな穀潰しの身分なのは親が毒親だったせいだ」
とは思わないようにしてきたつもり。


そういう意味で、精神面だけでも自分で腹括るように、自立するようには気をつけている。
金銭的な自立は、試行錯誤しつつ微々たるものではあるけれど、プラスには向かっているので、まあ、勘弁して頂きたい。

 

毒親育ちで、メンタル病んでて、抜毛に過食症にと役満地雷女ではあるけれど、必死に生きているこの人生だけは、自分のせいであり、自分のおかげと自負して生きたい。

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